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津地方裁判所上野支部 昭和47年(ヨ)13号 決定 1972年11月10日

申請人

北森正一

右代理人

中村亀雄

被申請人

高北農機株式会社

右代表者

町野俊夫

右代理人

杉浦酉太郎

主文

被申請人は、申請人が被申請人の従業員として就労することを妨害してはならない。

被申請人は、当庁昭和四七年(ヨ)第一号転勤命令効力停止仮処分申請事件の仮処分決定により申請人に対し給付を命ぜられた金員のほかに、申請人に対し、金一二万八、九八七円及びこれに対する昭和四七年九月二九日以降完済に至るまで年五分の割合による金員ならびに同年九月以降本案判決確定に至るまで毎月二八日限り一ケ月金七、九六三円の割合による金員を支払え。

申請人のその余の申請はいずれもこれを却下する。

申請費用はこれを二分し、その一を申請人の、その余を被申請人の負担とする。

理由

第一、当事者双方の求める裁判

申請人代理人は、「被申請人は、申請人が被申請人の従業員として被申請人会社内に立入つて就労することを妨害してはならない。被申請人は申請人に対し、金二一三万六、三七円及びこれに対する昭和四七年九月二九日以降完済に至るまで年五分の割合による金員ならびに同年九月以降本案確定に至るまで毎月二八日限り一ケ月金八、九六三円の割合による金員を支払え。」との裁判を求め、被申請人代理人は、「本件申請を却下する。」との裁判を求めた。

第二、当裁判所の判断

一、当事者

被申請人高北農機株式会社(以下被申請人会社と略称する。)は資本金三億二、〇〇〇万円、従業員約四〇〇名を擁し、その業務は農業用機器及び各種産業用機器等の製造、販売を主な目的とする会社である。

申請人は、昭和三〇年四月被申請人会社に入社し、爾来昭和四〇年までの約一〇年間被申請人会社において耕運機テーラースキの自由ヘラ組立作業に従事したのち、本件営業部販売課発送係に配転され、製品の発送及び部品の荷造り作業に従事してきたものである。

以上の事実は当事者間に争いがない。

二、転勤命令と転勤命令効力停止仮処分決定

被申請人会社は申請人に対し、昭和四七年一月三一日被申請人会社福岡出張所への転勤の内示をなし、翌二月一日右転勤命令の辞令を発表した。

これに対して申請人は、同年三月四日津地方裁判所上野支部に対し、転勤命令効力停止の仮処分を申請したところ、同支部は同年四月二八日「転勤について申請人の同意を得なかつたのは勿論最少限度の考慮期間さえも与えることなく転勤を命じたもので、労使関係における信義則に著しく違背し、権利の濫用として無効である。」として、右転勤を命ずる意思表示の効力の発生を仮に停止する旨決定した。

以上の事実は当事者間に争いがない。

三、就労拒否と就労請求権

1、当事者双方の主張

申請人は、被申請人会社における就労妨害の禁止を求めその理由として、「申請人は前記仮処分決定を得た翌日被申請人会社に出勤したところ、被申請人会社は申請人が被申請人会社内に立入つて就労することを実力をもつて妨害し、爾来、今日に至るまで申請人の就労請求を拒否してきた。一般に労働契約関係は、労働者が一定の労務を提供する義務を負い、使用者はこれに対して一定の賃金を支払うべき義務を負う特定人間の人格の触れ合う継続的な信頼関係であるから、債権者債務者相互間の信頼関係を基礎とする一般の債権契約関係以上にその信頼関係が尊重されなければならず、労働者が適法に労務の提供をなしたときは使用者はこれを受領する権利のみならず受領する義務を負い、正当な理由なくこれを拒否し得ず、賃金支払義務を果たすことによつてその責を免れるものではない。」と主張し、これに対し被申請人は、「雇傭契約は労務者の提供する労務と使用者の支払う賃銀を対価関係にかからせる双務契約であり、労務の提供は義務であつて権利ではないから、雇傭契約あるいは労働協約等に特別の定めがある場合または労務の性質上特別の理由がある場合を除き労務者に就労請求権はない。のみならず本件においては、被申請人会社の申請人に対する前記福岡出張所への転勤命令自体は有効に存続し、その効力の発生が前記仮処分決定によつて停止されたにすぎないのであるから、申請人が就労するとすればその職場は右福岡出張所以外には存しないため、被申請人会社では申請人の本社営業部販売課での就労を拒否しているものである。さらに、被申請人会社では企業合理化計画の一環として申請人に対する前記転勤命令をなしたものであるから、仮令、暫定的にせよ申請人を旧職場に復帰させることは合理化計画を改変することになり、かかる朝令暮改は到底出来ない実情にあるばかりでなく、申請人を旧職場に復帰させることは、被申請人会社がその転勤命令の非を認めたかの如く誤解を招く虞れがあり、被申請人会社の人事権行使の正当性に疑念を抱かせ、労務対策上時宜に適したものではないとの判断のもとに、申請人の就労を拒否しているのである。」と主張した。

2、被申請人会社の就労拒否とその経過

疎明と審尋の結果によれば、申請人は前記仮処分決定後殆んど毎日被申請人会社に赴き、あるいは内容証明郵便をもつて被申請人会社本社営業部販売課への就労を求めたが、被申請人会社は申請人の就労すべき職場は福岡出張所であるとして申請人の右就労請求を実力をもつて拒否し続け工場内への入門すら認めず、また、別段、自宅待機あるいは帰休等の新たな業務命令を出すこともなく時日が経過し、わずかに今日に至るまでの間数回にわたつて被申請人会社の会議室等において申請人と就労について交渉する機会をもつたけれども、両者の主張は互いに平行線をたどつて物別れに終つたことが一応認められる。

3、就労請求権

ところで、申請人は労働者は使用者に対して就労請求権を有するとしてその就労を請求するので判断するに、労働契約においては、労働者は使用者の指揮命令に基づき一定の労務を提供する義務を負担し、使用者はこれに対して一定の賃金を支払う義務を負担するのが、その最も基本的な法律関係ではあるけれども、両者の法律関係はこれに止まらず、労働者の就労請求権について労働契約等に特別の定めがある場合または業務の性質上労働者が労務の提供について特別の合理的な利益を有する場合は勿論、労働者が賃金の支払のみを受ければ足り、就労自体はこれを特に望んでいないというような特別な事情のある場合、もしくは、労働者が懲戒処分を受けるなどして使用者に対して就労を請求し得ないような場合を除き、一般に労働者は使用者に対してその就労を請求し得る権利をも有しているものと解するのを相当とする。けだし、労働契約は特定人間の継続的な契約関係であるから、その当事者間には、売買その他の非継続的債権契約に比してより一層強度の信頼関係を必要とするものであり、契約当事者は信義則の要求するところに従つてその給付の実現について誠実に協力すべき義務があるからである。したがつて、労働契約において使用者は通常の場合、労働者が適法に労務を提供したときはこれを受領する権利のみならず、これを受領すべき法律上の義務があり、正当な理由なくしてこれが受領を拒否するときは単に賃金支払義務を果たすのみではその責を免れることはできないものと解すべきである。

就労請求権についての右のような考え方は、これを実質的にみた場合、労働者は労働契約関係において現実に就労することに利益を有することからも肯認されるであろう。すなわち、労働者は労働によつて単にその生活のために必要な賃金を得るに止まらず、労働そのものの中に労働者としての充実した生活を見出し、労働によつて自信を高め人格的な成長も達成することが出来る反面、仮に労働者が就労しない期間が永く続くようなことになれば、当該労働者の技能は低下し、職歴上及び昇給昇格等待遇上の不利益を蒙るばかりでなく、場合によつては職業上の資格さえも喪失し兼ねない結果となる。のみならず、労務の提供は労働者の義務であつて権利ではないとする立論が不合理な結果をもたらすものであることは、例えば使用者が不当労働行為意思をもつて労働者の就労を拒否する場合を想定すれば明らかである。すなわち、組合活動に熱心な労働者を企業から排除するために、使用者が労働者の就労を拒否した場合、それにもかかわらず使用者にはその労働者を職場に復帰させ就労させる義務がないものと解するときは、労働者の犠牲において使用者の不当労働行為を不当に保護する結果となつて、到底正当な解釈とはいえないであろう。

したがつて、申請人に就労請求権の行使を妨げるような特別の事情のない本件においては、申請人は被申請人会社に対して就労を請求し、被申請人会社は申請人の提供せんとする労務を受領すべき義務があるものといわなければならない。

4、仮処分決定と申請人の就労場所

被申請人は、被申請人会社が前記仮処分決定にも拘らず申請人を就労させないのは被申請人会社の申請人に対する転勤命令自体は有効に存続し、その効力の発生が前記仮処分決定によつて停止されているものであるとの見解のもとに、申請人の本社営業部販売課での就労を拒否しているものであると主張するけれども、前記仮処分決定はその理由において、被申請人会社の前記転勤命令は権利の濫用として無効である旨判示していることは前記認定のとおりである。してみれば右仮処分決定の趣旨とするところは、右転勤命令が無効である以上、被申請人会社は申請人に対し、転勤命令のなされなかつたのと同様に取扱うべきことを使用者たる被申請人に命じているものと解されるのであるから、暫定的にせよ申請人の就労すべき場所は現在被申請人会社本社営業部販売課発送係であつて、被申請人の右主張は理由がない。

さらに、被申請人は申請人に対する転勤命令は企業合理化計画の一環としてなされたものであり、また、申請人を旧職場に復帰させることは労務対策上時宜に適したものではない旨主張するけれども、前記仮処分決定が有効に存在している以上、被申請人の右主張は何ら申請人の就労請求を拒否し得る理由とはなり得ないものであることは多言を要しない。

5、保全の必要性

疎明と審尋の結果に前記認定事実を併せ考えると、申請人は前記仮処分決定がなされたのち殆んど毎日被申請人会社に赴いて就労を求めたが、被申請人会社はこれを拒否し申請人の就労を妨害していること、及び、申請人は就労を拒否されているため労働者として堪え難い精神的苦痛を蒙り不安に満ちた生活を余儀なくされていることが一応認められ、右の損害は申請人が賃金の支払を受け得たとしても必ずしも充分に償われるものではない。

してみれば、申請人が被申請人会社からその就労を拒否されることによつて損害を蒙つていることは明らかであり、申請人の求める就労妨害禁止の仮処分はその必要性がある。

四、昇給分差額及び夏季賞与の支払請求

1、昇給分差額

申請人は、昭和四七年四月からの昇給分差額を請求するので判断するに、被申請人会社の前記転勤命令は無効であり申請人は被申請人会社本社営業部販売課において就労すべき権利を有するところ、被申請人会社の就労拒否がなされなかつたならば、特別の事情のない限り申請人についても他の従業員と同様に昇給したものと考えられる。従つて、申請人について昇給を停止しなければならないような特別の事情の認められない本件においては、申請人についてその賃金が昇給されたものとして取扱われなければならず、他の従業員と別異に処遇すべき理由はない。

そして、疎明と審尋の結果によれば、昭和四七年四月の一律昇給額は金二、五〇〇円であり、申請人の成績評価はCランクに該当し、これによる成績評価査定額は金二、七〇〇円であること、及び申請人の同年三月における基本給は四万二、五一〇円であるからこれに基本給比例率0.065を乗じた基本給比例配分額二、七六三円合計金七、九六三円が申請人の同年四月以後の昇給分差額であることが一応認められる。

2、夏季賞与

申請人は、昭和四七年度における夏季賞与を請求するので判断するに、夏季賞与についても昇給分差額と同様、申請人について夏季賞与を支払う必要のないような特別の事情の認められない本件においては、申請人について他の従業員と同様、右一時金を支払うべきものである。

そして、疎明と審尋の結果によれば、右賞与支給時における申請人の基本給額は金六万〇、七七三円、平均出勤日数は二五日、対象期間稼働推定日数は一六四日、査定額は金四、〇〇〇円(B)であること及び夏季賞与の算出数式は、

であるからこれによる申請人の昭和四七年度夏季賞与は、結局、金一二万五、四二四円(円未満四捨五入)であることが一応認められる。

3、なお、付言するに、申請人は全金同盟高北農機労働組合に所属する組合員であり、同組合所属の従業員に対する昇給ならびに夏季賞与の支給は、従前から右組合と被申請人会社との間でこれについての協定が成立すると被申請人会社から右組合所属の各従業員に対する個別的な意思表示をまたずに、各従業員は当然に昇給したものとしての取扱いを受け、また夏夏季賞与の支給を受けるものとして実施されてきていることが、本件疎明によつて窺われるから、被申請人会社から申請人に対し、各別に右昇給等に関し特段の意思表示がなされなかつたとしても、そのことは何ら右の結論に消長を及ぼすものではない。

4、保全の必要性

よつて、被申請人会社は申請人に対し、昇給分差額一ケ月金七、九六三円の割合による昭和四七年四月以降同年八月までの間の合計金三万九、八一五円、及び、同年度夏季賞与一二万五、四二四円から被申請人会社が申請人に対しその昇給前の基本給に基づいて算定支給した金三万六、二五二円を控除した金八万九、一七二円の合計額金一二万八、九八七円及びこれに対する履行期後である昭和四七年九月二九日以降完済に至るまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金、ならびに同年九月以降毎月二八日限り一ケ月金七、九六三円の割合による昇給分差額を支払う義務があるにも拘らず、被申請人会社は申請人に対し、申請人の昇給前の基本給に基づく賃金及び夏季賞与のみを支給していること、及び、申請人は被申請人会社から支給される賃金等を殆んど唯一の収入としている労働者であり、右昇給分差額及び夏季賞与の支給を受けられないことにより著しい損害を蒙つていることについて疎明のある本件においては、申請人の求める右各金銭仮払いの仮処分はその必要性がある。

五、慰藉料

疎明と審尋の結果によれば、申請人は、前記仮処分決定のなされた翌日から殆んど毎日被申請人会社に出勤して就労を求めたけれども、被申請人会社ではあくまでも申請人に対する転勤命令が有効であると主張してその就労を拒否し続け現在に至つていること、そのため申請人は、健康にも恵まれ労働意欲がありながらも労働に従事することができず、労働者としての誇りを持ち自信に満ちた生活を破壊され、著しく名誉を毀損されたものであることが一応認められ、被申請人会社は就労拒否による申請人の精神的苦痛に対して相当額(その金額についてはしばらく措く。)の慰藉料を支払うべきものである。

しかしながら、右慰藉料請求権に関し金銭仮払いの仮処分の必要性について検討するに、審尋の結果に本件仮処分決定がなされるまでの経過を併せ考えれば、申請人は前記転勤命令効力停止仮処分決定によつて従来の基本給に基づく賃金を毎月被申請人会社から支払われているし、また、本仮処分決定によつて基本給改訂後の賃金昇給分の支払いを得られるばかりでなく、被申請人会社に対して就労を請求し得ることになるのであるから、これらの事情を併せ考えると、いま直ちに右慰藉料支払いの仮処分を得なければ申請人に著しい損害が生ずるものとは言い難く、結局、右慰藉料の支払いを求める仮処分の必要性についてはこれを認めるに足る疎明はない。

六、制裁的賠償

申請人は、申請人が被申請人会社の悪意に充ちた就労拒否(就労妨害)を受けているものであるところ、被申請人会社は巨大な資産を擁しながら申請人に対して微々たる賃金を支払うのみでことたれりとし、かかる加害行為を繰り返して申請人を被申請人会社から排除しようとしている以上、申請人の精神的損害を慰藉するものとは別個に、被申請人会社に対しその加害行為を阻止させるためにも制裁的賠償を請求し得るものといわなければならない。しかして本件における制裁的賠償は被申請人会社の加害行為の動機、態様、資産状態等を考慮すれば、その金額は金一〇〇万円をもつて相当とする、と主張する。

しかしながら、一般にわが国においては不法行為に対する損害賠償として、財産的損害と精神的損害とが認められているところ(もつとも精神的損害に対する賠償、すなわち慰藉料の本質については種々議論の存するところであるが、損害の填補による当事者間の公平の回復という点にその本質を求めるべきである。)、これとは別個に、制裁的賠償なる概念は、いまだこれを認める根拠に乏しいばかりでなく、本件においては、前記慰藉料の外に右の制裁的賠償を認めるに足る疎明は存しないから、右の制裁的賠償を求める本件請求はその理由がない。

七、結論

以上の次第であるから申請人の本件申請のうち、申請人が被申請人会社に対し就労妨害禁止を求める部分及び金一二万八、九八七円及びこれに対する損害金ならびに昭和四七年九月以降毎月二八日限り一ケ月金七、九六三円の割合による昇給差額分を求める部分はいずれも正当として認容し、その余の部分は失当であるからこれを却下することとし、申請費用の負担については、民事訴訟法八九条、九二条を適用して、主文のとおり決定する。 (泉山禎治)

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